
岡山のK君が、肺動静脈ろうによる心不全で亡くなった。
その一報が届いたのは、
大阪のフリースクール訪問中だった。
昨年『時は世紀末〜』を贈らせていただいて以来、
ブログで何度も取り上げてくださるなど、
一際歓迎ムードを強く漂わせてくれていた今回の場所。
新大阪から最寄りの駅まで案内してくれたスタッフのHさんは、
事前に手紙をよこしてくれてもいた。
最寄りの駅からスクールまでの道のりは、生徒であるN君も加わり、
背負ってきたギターは自転車に積んで運んでくれた。
無事に到着し、軽い挨拶を交わした後は、みんなで一緒にタコ焼き作り。
タコ焼き屋でバイト経験のある子がいてくれたこともあり、
味も形も申し分ない出来。数日前に予行練習もしてくれたらしい。
空腹を満たせたところで、ungameとやらに参加。
双六形式で様々な質問に答えて行く遊びで、勝敗もなければゴールもない。
自らが立ち止まった場所で、自らが選んだ物が、答えるべき問いに繋がる。
不思議と同じ人に似たような質問が集中して面白かった。
西日が差し込んできた頃、感謝の気持ちを込め、
中島みゆきさんの「時代」と自身の「音信」を弾き語りで披露。
唄もギターも申し分ない出来とは言いがたかったものの、
大きな拍手に包んでもらえ、照れ笑いがこぼれた。
数年前の自分には想像もできなかった自分がそこにいた。
別れが近づき、みんなが色紙に目標などを書き込んでくれている時、
数件の未読メールがあることに気付いた。
そのうちの1件が、K君の訃報だった。
一瞬、頭が真っ白になり、すぐに携帯を閉じた。
見なかったことにしてしまいたかった。
なるべく平静を装い、サインや写真を求めてくれる子達に応じた。
終始うつむきがちで、ほとんど声を発さず、
ungameの時も口ごもってしまってばかりいた男の子が、
すっと自分の前に立ち、「今日はありがとうございました」と、
しっかりと目を合わせ、はっきりと言ってくれた。
「こちらこそ」と返すと、にっこりと微笑んでくれた。
心が乱れやすい時期だったが、ここへ来て本当に良かったと思った。
この日の予定はまだ残っていた。5月に訪問した兵庫のスクールへ寄り、
来週末に明石で行なわれるイベントでの演奏に向け、
J君とリハーサルをすることになっていたのだ。
Hさんに美味しい串カツ屋さんに連れて行っていただくも、
K君のことや時間が気になり、あまり話すことができなかった。
それは、新大阪まで送ってもらっている間も同じだった。
口を開けば、泣き崩れてしまいそうだった。
姫路へ向かう新幹線の中、明日、岡山にも足を伸ばすことを決めた。
無論、喪服も香典も用意できていない。
夜からのお通夜には参列できそうもない。
ただ、目の前にはギターがある。
去年の10月、「ギター弾けるようになってまた来るね」そう約束し、
K君が17回目の誕生日を迎えた今年の3月、
「Happy Birthday」を弾かせてもらった、そのギター。
確かめるように、携帯を開いた。どわっと涙が溢れた。
考えれば考えるほど、運命めいた物を感じずにはいられなかった。
よりによって、今日。
自身が13歳の頃、通り魔に襲われ、殺されかけた日と、同じ日。
岡山からそう遠くない、ここへ来ている、今日。
どうしてか、頭がガンガン痛みだし、しばらく動けなくなった。
J君達が待っている。気力を振り絞り歩いた。
かなり遅くなってしまったのに、みんな快く迎え入れてくれた。
「遊ぼー!」小さな子達の無邪気で甲高い声が、頭の痛みを倍増させる。
前回のように一緒に遊びたい。でも、笑顔を作るだけで精一杯。
鎮痛剤を飲ませてもらい、楽になってきたところで、J君との練習を開始。
曲は「音信」。リズムが合うようになるまで、二人で何度も弾いた。
そのまま一人、その部屋に残り、ひたすら朝を待った。
そして朝、顔も洗わずに出掛けた。
岡山へ向かう電車の中、少しだけ眠った。
何もかも嘘だった、そんな夢を見た。
改札で、一報をくれた理事長さんが待っていた。
スクールに寄ると、あのホワイトボードに、
K君のお通夜やお葬式の情報が記されていた。
彼の命がそう長く持ちそうにないということは、初めから知っていたことだ。
でも、やっぱりどこかで、認めたくなかった。奇跡を信じたかった。
理事長さんが御両親に連絡を取ってくれ、
二人でK君の家へ行けることになった。
およそ半年振り、三度目のK君宅。
ドアの前に立っていらしたお父さんが、中へ通してくださった。
玄関を上がってすぐ見える部屋、そこに敷かれていた布団に、
人形のように横たわるK君がいた。
しばらく呆然と、その安らかな表情を見つめた。
K君の容態が急変したのは、先週末の夜のことだった。
これまでどんなに辛くても弱音を吐くことなどなかった彼が、
「助けて」「もう殺して」と口にするほど苦しみだしたのだという。
春に予定されていた手術は、様々な事情から行なわれなかった。
最期は静かに、家族全員で看取ることができたそうだが、
溢れだすその涙には、やはり悔しさが滲んでいるようだった。
重い病を抱える彼を受け入れてくれる学校は、なかなか見つからなかった。
でも、御両親は諦めずに探し回った。探し続けた。
そして、やっとの思いで、あのスクールに辿り着いた。
K君達の存在を教えてくれた、理事長さんからの手紙に、
コイツはこの旅を始める勇気をもらった。
出会えたあの日の記憶が、一つ一つ、鮮やかに甦った。
高校卒業の資格を取るという目標を果たせるまで、あと一歩だった。
親戚らしき方々も続々とやって来て、
「よく頑張ったね」と、優しく彼の頭を撫でてあげていた。
自分のようなクズが死ねば、喜んでくれる人達だっている。沢山いる。
なのにまた、こんなにも大切な命が、先に奪われてしまった。
生きてること、生きてくことに、罪の意識を覚えた。
そんな心の内を察してか、お父さんが、ある物を見せてくださった。
「ペンを握ることもしんどくなっていたはずなんですが、
留香さんの来られる日は、こうしてちゃんとメモしてあったんです。
本当に嬉しかったんだと思います」
それは、K君が遺したスケジュール帳だった。
「どうぞ、また歌ってあげてください」
深くうなずき、ゆっくりとギターを取り出した。
K君、この世に産まれてきてくれてありがとう。
17年間、生き抜いてくれてありがとう。
お父さんも、お母さんも、妹さんも、友達も、先生も…
みんな、あなたを愛してたよ。愛してるよ。愛してくよ。
コイツも、あなたに出会えて、本当に良かった。
そんな気持ちを込め、歌った。
3月にも歌わせてもらった「音信」を、
震える指で、声で、涙と鼻水でグシャグシャになった顔で、
最後まで、どうにか歌い切った。
部屋中に、すすり泣く人達の声が響いていた。
「またここへ来てもいいでしょうか?」
そう訊ねると、御両親はすぐさま、「是非」と答えてくださった。
別れ際、妹さんとも握手をした。
K君と似た大きな瞳、その輝きが、胸の奥に焼き付いた。
5年前の、10月01日、コイツはこんな日記を書き残した。
忘れられないことは、きっと、
忘れちゃいけないことなんだと思う。
憶えてていい。
縛られてしまうのはマズい。
でも、活かさずにいるのはもっとマズい。
コイツは書く。そして歌う。
それっきゃできない。いや、それができる。
この旅も続けたい。続けられる限り。
今、見えているモノ、聴こえてるモノ、そばにいるヒト、ここにいるコト…
ぜんぶ、当たり前なんかじゃない。
