去年の今頃は、心身ともにボロボロだった。
あの夜コイツは、暗闇の中、ハッキリと自分の後ろ姿を見た。
倒れ込んだソイツの体を起こそうとした。
でも、いつの間にかソイツの視点に戻っていた。
ソイツは生温い液体に顔を浸していた。
絡み付くそれが何なのか確かめようと、電気を点けた。
壁に飛び散っていたそれも、シーツに池を作っていたそれも、
オノレの手首と同じように、赤黒かった。
そこから出ようと歩くと、それが滴り落ちた。
ポタポタとではなく、ボトボトと、床にラインを引くように。
わけもわからず泣き叫んだ。
過呼吸に陥り、指先が痺れだし、
遠のく意識の中で、サイレンの音を聴いた。
午前0時を回っていた。
耐えがたい激痛によって、意識を取り戻した。
傷口附近数カ所に、麻酔注射を打たれた。
20針に及ぶ縫合手術だった。
鎮痛剤を飲み、安静にしていると、
今度は祖母が救急車で運ばれたとの連絡。
その日の昼、祖母は息を引き取った。
まるで、命の大切さを教えるためかのごとく。
あの夜のことを1から思い出そうとすると、
当時の感情だけがどっと押し寄せ、今でも言葉に詰まってしまう。
だけどあれから一年。コイツはこうして生きていて、
二度と仰げなかったかもしれない空の下、
出会えなかったかもしれない人達と出会い、
伝えられなかったかもしれないことを伝えている。
どんなに悔やんでも、過去は変えられない。
償いきれない罪だってある。
悲しみは雨のように降ってくる。止んでもまた降ってくる。
コイツは思う。
生きるために、活かそうと。活かすために、生きようと。
今回の場所は、民家の一室。前回とは打って変わって、かなりリラックスモード。
代表のYさんと5人の若者と、一つのテーブルを囲み、
ここへ来ることになったそれぞれの経緯や、
現在の趣味、今後の目標などを語り合った。
Yさんですら初耳だという彼らの本音や過去の話が、
次から次へと飛び出した。きっと、心の奥底では、
ずっと誰かに聞いてほしかったことなのだろう。
荒んだ環境に置かれていた小学生の頃から神経症を患い、
本気で自殺を試みようとしたこともあるA君が言った。
どうしてあのとき死ねなかったんだろうと、よく思う。
やっぱり死んだ方が良かったんじゃないかと。
でも、死んでたら今日ここにいるみんなに会えなかった。
こんな風に話したりできなかった。生きてて良かった。
照れくさそうに俯くA君に、自分も同じ気持ちだと告げた。
すぐに何らかの障害を持っていることが判る子もいた。
でも、その子は一人一人の話をよく聴き、よく考え、
理解しがたい点があれば、納得が行くまで説明を求めてくれた。
知ったかぶり常習犯の自分には、とても良い刺激だった。
好きな物事について語る時の表情は、みんなキラキラとしていた。
コイツはそんなみんなに、10代の頃に書いた「ミントドロップ」の歌詞や、
この散文などを紹介した。
僕らにできないことができる彼らを羨んでる暇があるなら、
彼らにはできなくて僕らにできることに没頭しよう。
別れ際、みんなが色紙に書き込んでくれた。口には出しにくい、素直な気持ち。かたじけない言葉の数々。
新幹線の中、その色紙や友達がくれたメールを読み返し、
人目も憚らずに泣いた。
いつまでも消えそうにない傷痕を眺めながら、
亡くなった祖母の顔を過らせた。
祖母が最期に残した言葉は、「ありがとう」だった。
コイツはずっと、祖母を憎んでいた。
邪険にされ続けた日々を、忘れることができなかった。
ある日、祖母はコイツに詫びた。
「ごめんね、あなたには本当に悪いことをした」と。
コイツは祖母を許せなかった。信じられなかった。
でも、それから毎月のように会いに行った。
年相応に体が弱り、迫り来る死に怯えながらも、
祖母は精一杯、コイツに愛を注いでくれた。
その冷たく硬くなってしまった肌は訴えていた。
命とは、暖かく、柔らかいものだと。
死ねる日は来る。望まなくても来る。必ず来る。
逃げるように、諦めるようには逝きたくない。
コイツも最期は、「ありがとう」と言いたい。
家に帰ると、静岡のDFの子達から色紙が届いていた。色とりどりのペンで描かれた、可愛いイラスト。
ぎっしりと書き込まれた、みんなの夢や、応援メッセージ。
彼らには申し訳ないことをしてしまった覚えがあっただけに、
喜びより先に、安堵の溜め息が。
ねぇ、お婆ちゃん、ちゃんと天国まで着けた?
お爺ちゃんには会えた? 班長には?
そこから見える? コイツのこと見てる?
御飯、美味しかったよ。笑顔、綺麗だったよ。
愛してくれて、嬉しかったよ。
