2003年04月09日

命綱

息を止め苦しくなろうが、身を切り血を眺めようが、
生きてるなんて感じなかった。生きれているだなんて。

コイツが取り乱していた頃、英治は何をしていたかと言うと、
みんなより一足早く、修学旅行を切り上げてしまっていた。
なぜなら、同室のイカつい男子と空手ごっこをし、左手を骨折したからである。
心配でしょうがなかったコイツは、帰ってすぐに電話をした。
「大丈夫??」
「あぁ」
「なんか病院でイテーッ!って叫んだらしいじゃん」
「だって痛かったんだもん」
「偶然だけど、私も手ぇやっちったよ」
「なんで?」
「旅館の壁殴りまくって」
「なんで?」
「や…」
上手く説明できなかった。自分でもよく解らなかった。
修学旅行以来、コイツは毎日のように、自らの体を痛めつけるようになった。
壁を殴るのは習慣の一つと化し、
授業中は、コンパスでその傷口を拡げることに専念した。
常用しだした頭痛薬や下剤の量も、増えて行く一方だった。

「レイプでもされたの?」
そう訊いてきたのは、中1の時のクラスメイトであり、
中2・中3と、同じ文化祭委員を務めた女の子・博美(仮名)だった。
コイツは笑ってごまかした。
どんなにムシャクシャしている時でも、博美の前では、笑うことができた。
中学時代の楽しかった日々を思い出すと、
そこには必ずと言っていいほど、博美の姿がある。
博美とは、アイドルの話なんぞで盛り上がったり、
一緒にダンス同好会なるものを創り、2つ下の後輩も呼び込んで、
放課後や休日に汗を流したりと、
マイナス思考に支配されがちだった自分が嘘みたいに映る場所を築けた。
ただ、そこには、悩みを打ち明けたくなるような雰囲気はなかった。

共に汗を流した後輩達は、コイツが登校して来たのを見つけるなり、
満面の笑みを浮かべ、かなりの勢いでタックルして来たり、
練習用に作ったコイツの曲を聴き、尊敬の念を示してくれたりした。
愛おしい存在だった。
でも、その子達が、1つ下の後輩に、
「あの先輩はヤバいから関わらない方がいい」
などと忠告されたと聞いた時は、何も言えなかった。
当時のコイツは、クラスメイトに挨拶されても、
視線を合わすことすらしなかったり、
痛みを分け合えた唯一の存在である由樹にさえ、
突き放すような態度でいたりした。
逆に、あれほど敵対心を剥き出しにした存在である百合子とは、
ちょくちょく連絡を取り合うような仲になっていた。
コイツには、悪評がお似合いだった。

そんな中、由樹がくれた手紙には、コイツが由樹をどう思っていようと、
由樹にとってコイツは最も大切な友であることに変わりはない、
というようなことが記されていた。
由樹はコイツの弱さを優しさと呼び、ワガママぶりを純粋さと表した。
そんな由樹こそが、優しくて純粋な人間に見えた。

英治の左手が完治し、大喜びしたコイツの右手は、まだ血が滲んでいた。
ある雨の日、その件で担任に呼び出しを食らい、帰りの遅くなったコイツは、
学校の近くの公衆電話から、英治の家に電話をかけた。
「私さぁ、これ以上、自分のこと責める必要ないと思う?」
「うん」
「ホントに?」
「うん」
英治は、その質問を待っていたかのようだった。
泣いたり怒ったりしてやめさせようとした人が多かった中、
英治は、そう思いつつも、その気持ちを押し付けることはせず、
コイツ自身がやめる気になる日が来ることを、信じていてくれた。
「もうやめるわ」
「うん」
「約束ね」
「うん」
「また責めたくなったら、オマエのこと思い出していい?」
「おぅ」

1学期が終わりを迎える頃、コイツの拳に巻かれた包帯は、
白さを保てるようになった。

「こないだ初めて、自分の手がカワイソウだって思えた。
 それまでずっと、壁に申し訳ないとか言ってたけど」
「うん」
「今頃気付くなんてバカかも」
「うん」
「何回もオマエの声が頭よぎったよ、ありがとう」
「おぅ」

夏休み中は、一度も連絡を取らなかった。
英治に頼らなくても大丈夫な自分になることが、最大限の恩返しだと思った。
そしてまた、ガンガン曲を作った。
自らの可能性に興味が湧き、デモテープオーディションとやらにも初挑戦した。
結果は不合格だったものの、作詞・作曲の才能は感じる、
唄はトレーニングすべき、とのコメントをもらえた。
生きる気力に満ち溢れたコイツには、
新学期早々に待ち受けている出来事など、想像もできなかった。