2005年09月01日

遠隔

喜びを教えてくれる存在は、悲しみも教えうる存在だった。

英治には、高校に入学して間もなく、彼女ができた。
英治が一目惚れし、英治から交際を申し込んだ。
中学の頃以上にモテまくっているという噂は耳にしていたし、
然して驚くことではなかった。
ただ、コイツは英治に、「彼女ができたら、もう連絡しない」と告げてあった。
英治の彼女になる人に、嫉妬せずにいられる自信がなかった。
それによって、また突き放されてしまうことが怖かった。
何も知らなかったとは言え、
レイプされかかっていた女性のことを笑い話にした百合子を愛し、守り抜き、
コイツのことを「何なの?」と睨み付けた、あの時の英治の眼は、
コイツの脳裏に、しっかりと焼き付いてしまっていた。

嬉しさや楽しさは、すぐに忘れてしまう。
きっと、不満や渇望こそが、生命力を育んでくれる物だからだろう。
一方、心の傷は、同じことを繰り返させぬためか、
何度でも、そこにあることを叫びだす。
自業自得ながら、傷だらけになったコイツには、
度を超えた警戒心が宿るようになった。
それを打ち砕くことができたのは、「自分は守ってやる価値などない人間」、
「自分は傷つけられて当然の人間」などといった、卑屈な観念のみだった。
そして、自分で自分の腕を切りつけたりしては、それを実証したつもりになった。

英治は、そんなコイツを、別格の存在として大切にしようとしてくれていた。
怯え続けるコイツのことなど理解できるわけもなく、ただ、改めて、
変わらずにいることを誓ってくれた。二人の関係は、壊れずに済んだ。

共に音楽が好きだった英治と寿明は、一緒にバンドを組もうとしていた。
コイツが音楽と真剣に向き合いだせたのは、
英治が中学時代からプロのミュージシャンを志していたからでもある。
コイツが英治に思いを寄せていることを知っていた寿明は、
英治が傍にいる時に、コイツに電話をよこし、二人に話をさせてくれたりした。
寿明は二人にとって、掛け橋のような存在だった。

自宅に引きこもっている間、
コイツは毎日のように文章を書きまくった。書かずにはいられなかった。
[墓地]に載せてきた散文の多くは、この頃(15〜16歳)に書いた物だ。
こんなにも当時のことを詳しく書けるのは、当時の日記が残っていたからでもある。
冷静さに欠け、血まみれのページまであるそれは、
とても他人に見せたくなるような物ではない。

やがて夏が来て、誰と誰がヤッただの、
性に関する話を聞かされることが急増した時には、
のたうち回るほどの苦しみを覚えた。
みんな大好きな友達だったし、毎日誰かしらから電話が来ることは嬉しかった。
過去を明かせずにいたのは、自分自身だ。憎むことができない分、本当に苦しかった。
いわゆるコギャル・ブーム真っ只中、援助交際を始めた子の話にもなり、
「私、好きじゃない人となんて、絶対にできない」
そんな友人の言葉に、胸が引き裂かれるような気持ちになった。
コイツだって、選びたかった。好きな人に抱かれたかった。
初めてSEXをする相手は、好きな人が良かった。
ナイフ片手に、自分を殴りつけ、挙げ句の果てには首を絞めて殺そうとする、
どこの誰かも分からない相手となんか、したくなかった。
どうしようもない疎外感や孤独感が、胸の中を占拠した。
そんな時、英治から電話が来た。
「こないだ、あんまり話せなかったから…」
英治の方からかけてくるなんて、とても珍しいことだった。
その前に話した時、コイツに元気がなかったため、少し心配していたようだった。
SEXどころか、会うことすらできずにいても、そこには確かに、癒される自分がいた。
英治を好きで良かったと、心から思った。

母親に勧められ、都内の音楽専修学校でヴォイス・トレーニングを始め、
強く生きて行く意志を固めた秋、寿明から電話が来た。
その声は、いつになく神妙だった。
「落ち着いて聞いてね」
「何…」
それはまるで、ドラマの1シーンのようで、コイツは思わず、笑いだしそうになった。
「英治が事故った」
「え?」
「バイクで事故った」
「え……命は? 命は大丈夫なんでしょ?」
「わかんない。今、面会謝絶なんだ。まだ家族の人も会えてなくて…」
「ウソ…」
口元は笑えているのに、両目からは、止めどなく涙が溢れていた。