2005年08月01日

謹慎

半年間、家からほとんど出なかった。

春休みが明けても、友達や後輩からの電話や手紙が途絶えることはなく、
同性も含めた数人から、ずっと好きだったと告白されたりもした。
が、かつての仲間の中には、入学した高校で、
「うちの学校には精神異常者がいた」だの、
「私が登校拒否にさせちゃった子がいた」だの、
無茶苦茶なことを言いふらしていた奴もいた。
コイツは、卒業アルバムの集合写真に、反感を買うのも覚悟の上で、
あの百合子と手を繋いで写り、二人の和解を証明した。
彼女らは、案の定、そのことに腹を立て、
裏切り者だの何だのと、陰口を叩きまくっていた。
しかし、卒業式の日、こそこそと百合子に握手を求めていた彼女らの姿を、
コイツはこの目で見た。

あらゆる騒動を傍観してきた寿明は、コイツのことを、
学年一の嫌われ者だったんじゃないかと笑った。
誰にも嫌われたくないがために、周囲に同調してばかりいる奴らよりは、
遥かにマシだと思った。

同じ名前の歌手がデビューした際、
それがコイツだという噂を真に受けた佳奈は、別人であることを伝えると、
「なんだ、良かった。私、あんたが幸せになるのだけは許せないから」と、
冷たい口調で言い切った。
コイツが一学年下の男子に付きまとわれていた時、
正門で待ち伏せるソイツとコイツが遭遇してしまわぬよう、
ゲタ箱からコイツの靴を持って来てくれたりしたのは、佳奈だった。
卒業式の日、一緒に登校しようと誘ってくれたのも、佳奈だった。
それらの記憶が、急速にぼやけて行った。
「あんたなんかと一緒にいるんじゃなかった。
 あんたのせいで、私の中学時代は最悪だった」
堰を切ったように、佳奈は話しだした。
佳奈は中2の頃、英治だけでなく、百合子とも同じクラスだった。
仲間の中で、ただ一人。
コイツの味方でいなければ、仲間から酷い仕打ちを受ける。
でも、コイツの味方でいれば、教室に居づらくなってしまう。
その葛藤は半端じゃなく、人知れず、苦しみ続けていたのだという。

佳奈は、コイツの短所や欠点を鋭く突き、嫌いだ嫌いだと言いながらも、
ずっと親友でいてくれた、貴重な存在だった。
小学校高学年の頃から、交換日記を付け、おそろいのバッグを持ち、
似たような悩みを打ち明け合っては、共に泣き、笑い、励まし合ってきた二人は、
中学に上がり、同じバスケ部に入った。
が、メキメキと上達して行く佳奈の横で、精神的ストレスから、
過呼吸発作とやらを繰り返していたコイツは、リタイアせざるを得なくなった。
コイツは、佳奈に激しく嫉妬した。何か別のことで、佳奈の上に立ちたかった。
そして、英治にも、百合子達にも、佳奈を疎むよう仕向けたのだ。
劣等感を隠し、自らを正当化するかのごとく。

あの頃、苦しみを覚えていたのは、コイツだけじゃなかった。コイツだけなんかじゃ。

中学卒業後、初めて書いたのは、『あすへの助走』という曲だった。
明るい日になるとは限らない、明らかになる日とは限らない、
それでも、“あす”という日を迎えたかった。

2005年09月01日

遠隔

喜びを教えてくれる存在は、悲しみも教えうる存在だった。

英治には、高校に入学して間もなく、彼女ができた。
英治が一目惚れし、英治から交際を申し込んだ。
中学の頃以上にモテまくっているという噂は耳にしていたし、
然して驚くことではなかった。
ただ、コイツは英治に、「彼女ができたら、もう連絡しない」と告げてあった。
英治の彼女になる人に、嫉妬せずにいられる自信がなかった。
それによって、また突き放されてしまうことが怖かった。
何も知らなかったとは言え、
レイプされかかっていた女性のことを笑い話にした百合子を愛し、守り抜き、
コイツのことを「何なの?」と睨み付けた、あの時の英治の眼は、
コイツの脳裏に、しっかりと焼き付いてしまっていた。

嬉しさや楽しさは、すぐに忘れてしまう。
きっと、不満や渇望こそが、生命力を育んでくれる物だからだろう。
一方、心の傷は、同じことを繰り返させぬためか、
何度でも、そこにあることを叫びだす。
自業自得ながら、傷だらけになったコイツには、
度を超えた警戒心が宿るようになった。
それを打ち砕くことができたのは、「自分は守ってやる価値などない人間」、
「自分は傷つけられて当然の人間」などといった、卑屈な観念のみだった。
そして、自分で自分の腕を切りつけたりしては、それを実証したつもりになった。

英治は、そんなコイツを、別格の存在として大切にしようとしてくれていた。
怯え続けるコイツのことなど理解できるわけもなく、ただ、改めて、
変わらずにいることを誓ってくれた。二人の関係は、壊れずに済んだ。

共に音楽が好きだった英治と寿明は、一緒にバンドを組もうとしていた。
コイツが音楽と真剣に向き合いだせたのは、
英治が中学時代からプロのミュージシャンを志していたからでもある。
コイツが英治に思いを寄せていることを知っていた寿明は、
英治が傍にいる時に、コイツに電話をよこし、二人に話をさせてくれたりした。
寿明は二人にとって、掛け橋のような存在だった。

自宅に引きこもっている間、
コイツは毎日のように文章を書きまくった。書かずにはいられなかった。
[墓地]に載せてきた散文の多くは、この頃(15〜16歳)に書いた物だ。
こんなにも当時のことを詳しく書けるのは、当時の日記が残っていたからでもある。
冷静さに欠け、血まみれのページまであるそれは、
とても他人に見せたくなるような物ではない。

やがて夏が来て、誰と誰がヤッただの、
性に関する話を聞かされることが急増した時には、
のたうち回るほどの苦しみを覚えた。
みんな大好きな友達だったし、毎日誰かしらから電話が来ることは嬉しかった。
過去を明かせずにいたのは、自分自身だ。憎むことができない分、本当に苦しかった。
いわゆるコギャル・ブーム真っ只中、援助交際を始めた子の話にもなり、
「私、好きじゃない人となんて、絶対にできない」
そんな友人の言葉に、胸が引き裂かれるような気持ちになった。
コイツだって、選びたかった。好きな人に抱かれたかった。
初めてSEXをする相手は、好きな人が良かった。
ナイフ片手に、自分を殴りつけ、挙げ句の果てには首を絞めて殺そうとする、
どこの誰かも分からない相手となんか、したくなかった。
どうしようもない疎外感や孤独感が、胸の中を占拠した。
そんな時、英治から電話が来た。
「こないだ、あんまり話せなかったから…」
英治の方からかけてくるなんて、とても珍しいことだった。
その前に話した時、コイツに元気がなかったため、少し心配していたようだった。
SEXどころか、会うことすらできずにいても、そこには確かに、癒される自分がいた。
英治を好きで良かったと、心から思った。

母親に勧められ、都内の音楽専修学校でヴォイス・トレーニングを始め、
強く生きて行く意志を固めた秋、寿明から電話が来た。
その声は、いつになく神妙だった。
「落ち着いて聞いてね」
「何…」
それはまるで、ドラマの1シーンのようで、コイツは思わず、笑いだしそうになった。
「英治が事故った」
「え?」
「バイクで事故った」
「え……命は? 命は大丈夫なんでしょ?」
「わかんない。今、面会謝絶なんだ。まだ家族の人も会えてなくて…」
「ウソ…」
口元は笑えているのに、両目からは、止めどなく涙が溢れていた。

2005年09月15日

予兆

永遠など有り得ないのだと、確信した。

「私やっぱ、あのまま殺された方が良かったかもしれない。
 じゃなきゃ、自殺するべきだった」
「何言ってんの」
「死んじゃえば、もうそれ以上、悲しむことも悔やむこともなかったわけだし…」
「や、なんかあるよ」
「イイこと?」
「うん」
「保証できる?」
「うん」
「ただのカンなんでしょ?」
「いや、それが当たるんだな」

いつかの英治とのやりとりが、頭の中を何往復したことだろう。
祈ることしかできない日々は、とてもとても長く感じた。
「またいつでも会えるよ」
最後に見せてくれた笑顔が、握った手の暖かさが、大好きなあの声が、
何よりも遠くへ行ってしまいそうな感覚。
それに逆らうように、鮮やかさを増す思い出達。
四六時中、神経が張り詰め、何度も呼吸が乱れた。

そんなコイツのもとに届けられたのは、朗報だった。
手術は成功した。英治は一命を取り留めた。少しずつ回復へと向かって行く英治。
だが、コイツはそんな英治に、一度も会いに行こうとしなかった。
危機的な状況を脱したと判っただけで安堵し、全身の力が抜け、
その後の英治の苦しみなど、想像すらしなかった。
だいぶ後になって知ったことだが、
英治はこの時、吊るされた自らの足を見つめながら、初めて、
「死ねば良かった」という思いを味わっていた。
甦る恐怖、走る激痛、そして、
家族に迷惑をかけてしまったという罪の意識から解放されたくて…

典型的な熱しやすく冷めやすいタイプだった英治は、
入学早々に付き合いだした彼女とは、すでに別れていた。
自分から惚れ込んでおいて、あまり話さなくなって離れるという、
百合子の時と同じような結末だった。
度々見舞いに行っていた寿明に、「寂しい」と漏らしてしまうほど、
英治は弱っていた。でも、コイツは会いに行かなかった。
ただ、改めて、一刻も早く、英治に頼らなくても大丈夫な自分にならねばと思った。
このまま英治が必要な自分でいてはダメだと。
これから我が身に起こりうる、“イイこと”を掴めるまでは、それまでは、
会ってはいけないような気さえしていた。
英治に会いたい自分こそが、英治を愛おしむ自分こそが、
真っ暗な闇の中、一筋の光となっていた日々は、もう、終わっていた。

2005年10月15日

奮起

飛行機の音が聴こえただけで震えが止まらなくなったり、
産婦人科の看板を目にしただけで息苦しくなって倒れたりと、
自分で自分をコントロールできなくなる瞬間の増加が、
週に1〜3回程度の外出にも、かなりのエネルギーを必要とさせた。
それらが犯罪被害者などに多く残されるという障害・PTSD
(心的外傷後ストレス障害)の症状の一つであると知ったのは、
それから何年も後のことだった。

16歳。通っていた専修学校では、最年少だった。
周囲は皆、高校卒業後に入学した、ハタチ前後の若者。
仲良くなれたのは、ただ一人。
大阪から上京して来ていた、3つ年上の女の子だった。
彼女は、レッスンの度に講師から鼻にかかる声や滑舌の悪さを指摘され、
唄への苦手意識を強める一方であったコイツに、
「私、ルカの声好きやで」と言ってくれた。
そして、まだ拙さばかりが目立っていたコイツのデモテープを聴き、
涙を流して感動してくれた。
彼女もまた、複雑な家庭環境で育った子だった。
酒やタバコに手を出したのは、小学校時代。
苦労を重ねながらも、とことん正直で好奇心旺盛だった彼女の辞書に、
遠慮という文字はなさげだった。

そんな彼女がある日、コイツにこう言った。
「ルカは頑張ってない。もっと頑張れるはず」
コイツはその言葉に背中を押されるように、家でも毎日歌いだし、
音源制作にも、ぐんと力を入れるようになった。
母親が小学校の音楽教師だったことが幸いし、機材は入手しやすかった。
シンセサイザー1台に、適当に音を打ち込み、
それを唄と共にマルチトラックレコーダーで録って行く。
メロディーしかない状態の曲に音を重ねて行く作業は、楽しくてたまらなかった。
当時は小室哲哉プロデュース作の全盛期。
まだヒット曲ばかりを聴いていたコイツは、露骨にその影響を受けつつも、
野島伸司脚本によるドラマに多用されていた辺りの
古い洋楽にも興味を持つようになり、
BOZ SCAGGSの「We're All Alone」、プロコル・ハルムの「青い影」、
10CCの「I'm Not In Love」といった曲をBGMに、小説を書いたりもした。
後に最高傑作と言われ続けることになる『迷子の瞳』も、この頃に生まれた曲だ。

そうして出来上がったテープは、
いつも電話や手紙をくれる親しい友人に配り、感想を募った。
当初ぶっちぎりで人気があったのは、
9歳の頃に生まれた『Lonely Birthday』という曲だった。
20回目の誕生日が、ちっとも喜ばしくない形で終わってしまうという、あれだ。
あまりの好評ぶりに、調子に乗ったコイツは、
それを有線のアマチュアミュージシャン支援番組に送ってみた。
するとこれが一発合格。番組史上最年少での採用となった。
コイツは飛び上がって喜び、すぐさま英治に報告した。
「やっと嬉しいことあったから、どうしても伝えたくてさ」
電話をするのは、半年振りぐらいのことだった。
「おめでとう」
その声は、やはり誰の声よりも胸に響いた。
「電話かけづらかった」
「なんで?」
「や、おめぇ誰だよってなことに…」
「それはない」
「憶えてた?」
「うん」
「寿明に伝言頼んだら、ダメ、アイツは絶対信じないって言われたよ」
「あぁ、寿明から聞いてたら信じなかった」
「私から聞くことは信じるんだ」
「信じてる」

英治の足は完治しておらず、また2週間ほど入院する必要があるとのことだった。
かろうじての進級、試験中で勉強しなければならない現状、彼女もおらず退屈な日々…
そんな話を聞いても、会いたいという気持ちにはならなかった。
また朗報があったら電話してもいいか訊ねたコイツに、
英治は自身の携帯電話の番号を教えてくれた。
そして、電話を切る時、コイツは英治に、初めて言われた。
「頑張ってね」と。
苦しみを打ち明け続けていた中学時代、
英治は一度たりとも、その言葉を口に出さなかった。
「ありがとう…」
目頭が熱くなるのが判った。本当に、頑張るべき時にいるのだと思った。
その思いは、時に逃げ出したくなるほど、闘わねばならない物を見せつけ続けた。

2005年11月01日

使命

『Lonely Birthday』の採用以来、有線の番組には常連となったものの、
メロディーセンスやアレンジ力、声質が高く評価されていた一方で、
歌詞だけは、腹立たしくなるようなアドバイスをもらい続けた。

「背伸びしないで、もっと10代の女の子らしい、等身大の詞を書いてほしい」

自分の存在そのものを否定されたような気分だった。
当時、10代の女の子の気持ちを代弁しているかのように扱われていたのは、
30代40代の男性が歌詞を手掛けているアーティストだった。
あれこそが、想像の世界、上っ面の世界に過ぎないと思った。
いつも元気で明るい子も、コギャル・ファッションに身を包み遊び回っていた子も、
コイツには、「死にたい」「助けて」などと、涙ながらに訴えていた。
そしてその子達は皆、コイツの言葉を頼りにしてくれた。
コイツは、自分が書いてきたようなことも、
10代のリアルな心情であることを、知ってほしくてたまらなかった。
だから今でも、それぞれの思いが生まれた年齢を、いちいち記していたりする。

ちなみに、同番組で、「これぞ17歳らしい作品」などと絶賛されたのは、
14歳の頃に書いた、『探照灯』という曲だった。
数年後には、『NEGATIVE LOVE』という曲が、月間グランプリを獲得。
年間グランプリにもノミネートされた。
自分には才能があると思い込んだ。そう思い込むことで、
崩れ去ったものを思い出しても、神様を恨まないようにした。

1997年、あの事件が起こった。神戸連続児童殺傷事件だ。
犯人は、当時14歳。「日本中が震撼」「誰もが驚愕」……
マスコミは連日、騒ぎに騒いだ。彼の期待に応えるかのように。
本気で悲しんでる人なんて、そういない。本気で怖がってる人だって、そういない。
どこかで楽しんでるように映る人だらけだった。
コイツは知っていた。被害者の立場も、加害者の立場も。
決して、他人事ではなかった。この頃、『境界線』という曲が生まれた。
また、書きためていた散文の一部をまとめ、『少年B』という名の作品にした。

マイナスとされる感情にも、生まれて来た意味を与えてやるかのごとく、
コイツは書き続けた。自分を肯定したかった。世界を肯定したかった。
世界の縮図が自分の中にあると気付いた時、
犯罪も、戦争も、無くなりっこないものだと悟った。
それによって傷つき、痛みを覚える心も。

不愉快だと感じることは、よくある。でも、それを不自然なことだとは思わない。
いつだって不安だ。でも、それを不幸なことだとは思わない。

ドラマチックな出来事は続いた。
テープを聴いてもらっていた友達の一人から、ある日、数冊のノートを預けられた。
そこには、その子自身が綴った詩や散文が記されていた。
コイツはその内容から、すぐに察した。彼女には、レイプされた過去があると。
彼女もきっと、コイツの作品に触れ、それを感じ取らずにはいられなかったのだろう。
彼女が襲われたのは、コイツが襲われた、およそ一年後のことだった。
手口も場所も、ほぼ同じ。犯人は、同一人物である可能性が高かった。
コイツはまた、自分を憎んだ。
コイツが訴えるなり、殺されるなりしていれば、もっと大きな事件となり、
犯人を逃がさずに済んだかもしれない。彼女は被害に遭わずに済んだかもしれない。
ひたすら自分を責めた。
彼女はそのことを、警察沙汰にはしなかった。
事件当日も、何事もなかったかのように振る舞い、
母親から帰りが遅くなったことで怒鳴りつけられても、じっと耐え抜いた。
ただ、数日後、ひっそりと、生理が来たことに胸を撫で下ろした。
彼女は、誰にも苦しみを明かさずにいた。明かせずにいた。
独りきりで闘っていたのだ。ずっと。
コイツは、その闘いの記録を手に、声を上げて泣いた。
どうして気付いてあげられなかったのか。
自分なら、その心中を解ってあげられたはずなのに、どうして…
コイツは急に、恐ろしくなった。ひょっとしたら、知らずにいるだけで、
彼女のような子は、ものすごく沢山いるんじゃないか。
そのことにホッとなどしなかった。
その苦悩や葛藤が、こうして平然と見過ごされているのだ。
コイツは、何としても、自分の思いを世に放たねばと思った。
ありのまま、書くこと、歌うことによって。