中1の時の今日、コイツは死に損なった。
忘れられないことは、きっと、忘れちゃいけないことなんだと思う。
──憶えてていい。
縛られてしまうのはマズイ。
だけど、活かさずにいるのはもっとマズイ。
コイツは書く。そして歌う。
それっきゃできない。いや、それができる。
2002年10月01日
生還記念日
posted by コイツ at 00:00| U-13【回顧録】2002年10〜12月に連載。
2002年10月03日
ルーツ中のルーツ
『はだしのゲン』と『ピーターパン』。
物心つくかつかないかの頃、コイツは両者と出会った。
前者は確か、ビデオアニメだったと思う。
それを見せた母親は、後々とても悔やんでいた。
その理由は、残されたこの詩を読めば察しがつく。
僕はその日から毎晩、眠れずに泣いて、
何度も何度も、同じ夢を見た。
何かから逃げようと、慌てて家を飛び出したのに、
庭の地面が、すごい音を立てて裂けて、
小さな僕はその間に落ちて、上に戻れずにもがいてるうち、
またすごい音を立てて、地面が塞がってしまうんだ。
起きている時でさえ、そんな幻覚に嘖まれるようになった。
心配したママは、僕の背中を摩りながら、
繰り返しこう言った。
「この国にはもう、戦争はないのよ…」
ママ、この国になければ、それでいいのかい?
ママ、僕は戦いたいよ。
罪もないまま、何が起こってるかも分からないまま、
殺されてしまうよりは。
ランドセルを背負ったこともないガキには、
やはり刺激が強すぎたのかもしれない。
事情なんて解りっこない。
ただ次々と、圧倒的な力によって、人々が変わり果てた姿になって行く。
そんな様を、一体どう受け止めれば良かったのだろう。
コイツはそこから、何を感じ取るべきだったのか。
しかし、その一方でコイツには、同じ頃、
「また観に行きたい!」と、毎日のようにせがんだ物があった。
それが後者の、当時、榊原郁恵さんが主演していた舞台、
『ピーターパン』である。
目の前で飛んだのだ、郁恵ちゃんが。そりゃもう大興奮である。
しばらくの間、そのパンフレットは宝物だった。
この二つの衝撃が、コイツの人格形成とやらにおいて、
一役買っているのは間違いなさそうだ。
物心つくかつかないかの頃、コイツは両者と出会った。
前者は確か、ビデオアニメだったと思う。
それを見せた母親は、後々とても悔やんでいた。
その理由は、残されたこの詩を読めば察しがつく。
僕はその日から毎晩、眠れずに泣いて、
何度も何度も、同じ夢を見た。
何かから逃げようと、慌てて家を飛び出したのに、
庭の地面が、すごい音を立てて裂けて、
小さな僕はその間に落ちて、上に戻れずにもがいてるうち、
またすごい音を立てて、地面が塞がってしまうんだ。
起きている時でさえ、そんな幻覚に嘖まれるようになった。
心配したママは、僕の背中を摩りながら、
繰り返しこう言った。
「この国にはもう、戦争はないのよ…」
ママ、この国になければ、それでいいのかい?
ママ、僕は戦いたいよ。
罪もないまま、何が起こってるかも分からないまま、
殺されてしまうよりは。
ランドセルを背負ったこともないガキには、
やはり刺激が強すぎたのかもしれない。
事情なんて解りっこない。
ただ次々と、圧倒的な力によって、人々が変わり果てた姿になって行く。
そんな様を、一体どう受け止めれば良かったのだろう。
コイツはそこから、何を感じ取るべきだったのか。
しかし、その一方でコイツには、同じ頃、
「また観に行きたい!」と、毎日のようにせがんだ物があった。
それが後者の、当時、榊原郁恵さんが主演していた舞台、
『ピーターパン』である。
目の前で飛んだのだ、郁恵ちゃんが。そりゃもう大興奮である。
しばらくの間、そのパンフレットは宝物だった。
この二つの衝撃が、コイツの人格形成とやらにおいて、
一役買っているのは間違いなさそうだ。
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2002年10月06日
幼少期〔1〕
コイツの左の眉の上には、縫った痕がある。
母親が、2歳のコイツを自転車の後ろに乗せ、
夕方に町内を回るトラック(通称・牛乳屋さん)へ買い物に行った時のこと。
母親はコイツを置いたまま自転車から離れ、
その隙に、じっとしていられなかったコイツが、
体をベルトか何かで固定されていたために、
自転車ごとブッ倒れてしまったのである。
もろにアスファルト。青ざめた顔で駆け寄る母親。流血するコイツ。
牛乳屋さんが、あの日もいつもの曲を流していたとしたら、
その時のBGMは、♪チャラララララ〜チャラララララ〜ララ〜
・・・ガッデム。とにかく、あそこで頭を強打したという事実も、
コイツの人格形成などに、何らかの影響を及ぼしてる気が、しないでもない。
保育園では、泣き虫な男の子の背中に跨がり、
ボカスカと殴りつけて遊んだりするのが、たまらなく好きだった。
なぜかリチャード・クレーダーマンの『渚のアデリーヌ』ばかりを弾いていた、
顔の濃ゆい保父さんは、悪いことをした園児どもに、
決まってジャイアントスウィングとやらをかました。
あの、両足を抱えて、グルグル回してほっぽるという、プロレスの技である。
毎日誰かしらが宙を舞い、それはそれは愉快な光景だった。
コイツの「お迎え」が来る時間は遅い方で、残った数人の子達と一緒に、
NHK(教育テレビ)の『みんなのうた』を見ながら待つことが多かった。
コイツは『メトロポリタン美術館』や『山口さんちのツトム君』あたりを
猛烈に気に入り、身振り手振りを交え、取り憑かれたかのごとく歌いまくった。
今思うと、どちらもなかなか意味深な歌詞である気が、しないでもない。
母親が、2歳のコイツを自転車の後ろに乗せ、
夕方に町内を回るトラック(通称・牛乳屋さん)へ買い物に行った時のこと。
母親はコイツを置いたまま自転車から離れ、
その隙に、じっとしていられなかったコイツが、
体をベルトか何かで固定されていたために、
自転車ごとブッ倒れてしまったのである。
もろにアスファルト。青ざめた顔で駆け寄る母親。流血するコイツ。
牛乳屋さんが、あの日もいつもの曲を流していたとしたら、
その時のBGMは、♪チャラララララ〜チャラララララ〜ララ〜
・・・ガッデム。とにかく、あそこで頭を強打したという事実も、
コイツの人格形成などに、何らかの影響を及ぼしてる気が、しないでもない。
保育園では、泣き虫な男の子の背中に跨がり、
ボカスカと殴りつけて遊んだりするのが、たまらなく好きだった。
なぜかリチャード・クレーダーマンの『渚のアデリーヌ』ばかりを弾いていた、
顔の濃ゆい保父さんは、悪いことをした園児どもに、
決まってジャイアントスウィングとやらをかました。
あの、両足を抱えて、グルグル回してほっぽるという、プロレスの技である。
毎日誰かしらが宙を舞い、それはそれは愉快な光景だった。
コイツの「お迎え」が来る時間は遅い方で、残った数人の子達と一緒に、
NHK(教育テレビ)の『みんなのうた』を見ながら待つことが多かった。
コイツは『メトロポリタン美術館』や『山口さんちのツトム君』あたりを
猛烈に気に入り、身振り手振りを交え、取り憑かれたかのごとく歌いまくった。
今思うと、どちらもなかなか意味深な歌詞である気が、しないでもない。
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2002年10月09日
幼少期〔2〕
入学早々、同じクラスになった男子にスカートをめくられ、大泣きした。
小学校には、保育園で一緒だった子は、一人もいなかった。
さぞかしビクビクした日々が始まるのだろうと思いきや、
クラスメイトの女の子が描いた絵を見て、「ヘタだね」と吐き捨て、
「こう描くんだよ」と、その横に手本を描いてみせて嫌われたり、
近所に住む女の子をゴリラ呼ばわりして、
その子の母親にこっぴどく叱られたり……
可愛げのカケラもない子供へと、すくすくと育って行った。
我が家には、ピアノとエレクトーンがあった。
母親が小学校の音楽教師であり、5つ歳の離れた姉は、
両方の教室に通っていて、パッフェルベルの『カノン』やら、
ムソルグスキーの『展覧会の絵』やら、エルメンライヒの『つむぎ歌』やら、
日常的に耳にしていたのは、クラッシックが主だった。
また、当時は『光GENJI』というアイドルグループが凄まじい人気で、
コイツが「猫ふんじゃった」の次に両手を使って弾けるようになったのは、
そのデビュー曲『STAR LIGHT』だった。
彼らのファンであった姉に教わったのだが、それを見た母親は、
コイツの呑み込みの早さに、かなり驚いたという。
しかし、コイツが周囲に褒めてもらっていたことと言えば、絵の上手さの方で、
コイツ自身も、将来は漫画家になるのだと思い込んでいた。
少なくとも、いわゆるシンガーソングライターなんて職業には、
その後も一切、憧れた覚えがない。
小学校には、保育園で一緒だった子は、一人もいなかった。
さぞかしビクビクした日々が始まるのだろうと思いきや、
クラスメイトの女の子が描いた絵を見て、「ヘタだね」と吐き捨て、
「こう描くんだよ」と、その横に手本を描いてみせて嫌われたり、
近所に住む女の子をゴリラ呼ばわりして、
その子の母親にこっぴどく叱られたり……
可愛げのカケラもない子供へと、すくすくと育って行った。
我が家には、ピアノとエレクトーンがあった。
母親が小学校の音楽教師であり、5つ歳の離れた姉は、
両方の教室に通っていて、パッフェルベルの『カノン』やら、
ムソルグスキーの『展覧会の絵』やら、エルメンライヒの『つむぎ歌』やら、
日常的に耳にしていたのは、クラッシックが主だった。
また、当時は『光GENJI』というアイドルグループが凄まじい人気で、
コイツが「猫ふんじゃった」の次に両手を使って弾けるようになったのは、
そのデビュー曲『STAR LIGHT』だった。
彼らのファンであった姉に教わったのだが、それを見た母親は、
コイツの呑み込みの早さに、かなり驚いたという。
しかし、コイツが周囲に褒めてもらっていたことと言えば、絵の上手さの方で、
コイツ自身も、将来は漫画家になるのだと思い込んでいた。
少なくとも、いわゆるシンガーソングライターなんて職業には、
その後も一切、憧れた覚えがない。
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2002年10月12日
初めての鼻血と、始まりの鼻唄
取っ組み合いの果てに、床に顔面をぶつけた。
痛みをこらえ起き上がると、鼻の両穴から出血していた。
放課後に通っていた、「学童」と呼ばれる施設での一コマである。
そこには、両親の帰りが遅かったり、片親だったりする家庭の子供が集まっていた。
その日は、一年生の女の子達が、自発的に、二手に分かれ、
一人ずつ対戦して、どっちが勝った数が多いかを競うってな遊びをしていた。
そこでは他にも、木登りやら、けん玉やら、色々な遊びができて、
学校よりも遥かに楽しい場所だったように思うのだが、
そこで毎日提出することを義務づけられていた日記には、
「あの子なんて死んじゃえばいい」などという言葉が何度も登場し、
返事を書く先生を困らせた痕跡があった。
困らせたと言えば、親友を自分の家のベランダに閉じ込めたまま、
何時間か外出してみたり、急に保育園が恋しくなって、
近所の友達を引き連れ、無謀にもチャリンコで辿り着こうとしてみたり……
若気の至りとやらなのか、この頃から、不可解な衝動が目立ちだした。
日が暮れる時間が早まると、学童から家までの帰り道は真っ暗だった。
同じ方向の子がおらず、一人だったコイツは、
寂しさを紛らすため、恐怖心を取り払うため、鼻唄を歌うようになった。
しばらく続けているうち、そこにテキトーな歌詞が乗っかるようになり、
そうして誕生したのが、処女作『ファイト三人組』である。
青い空の下 白い雲の上
誰かが呼んでる みんなで歌おう
1、2、3、4、5、6、7、8、
8、7、6、5、4、3、2、1、
さすがの さすがの ファイト三人組
歌詞は全くもって意味不明だが、
母親にピアノで弾いて聴かせてみたところ、ものすごく驚かれた。
母親には、曲を作るという力はなく、何も教えようがなかった。
にも拘らず、コイツが作ったその曲には、とてもまとまりがあったのだ。
それからコイツは、同じようにして、ボンボン曲を生み出して行った。
それにしても、真っ暗な夜道を、一人きり、大声で歌いながら歩いて行く少女の姿は、
度々すれ違った下半身丸出しの変質者などの目に、どう映っていたんだか。
ちなみに、同じ頃に生まれた曲の中には、こんな歌詞がついていたものもあった。
暗い夜道を歩いてる 少女一人
空には 星が涙を流している
ひとりぼっちのメロディー 誰にでもあるメロディー?
心はいつも歌う ひとりぼっちのメロディー
痛みをこらえ起き上がると、鼻の両穴から出血していた。
放課後に通っていた、「学童」と呼ばれる施設での一コマである。
そこには、両親の帰りが遅かったり、片親だったりする家庭の子供が集まっていた。
その日は、一年生の女の子達が、自発的に、二手に分かれ、
一人ずつ対戦して、どっちが勝った数が多いかを競うってな遊びをしていた。
そこでは他にも、木登りやら、けん玉やら、色々な遊びができて、
学校よりも遥かに楽しい場所だったように思うのだが、
そこで毎日提出することを義務づけられていた日記には、
「あの子なんて死んじゃえばいい」などという言葉が何度も登場し、
返事を書く先生を困らせた痕跡があった。
困らせたと言えば、親友を自分の家のベランダに閉じ込めたまま、
何時間か外出してみたり、急に保育園が恋しくなって、
近所の友達を引き連れ、無謀にもチャリンコで辿り着こうとしてみたり……
若気の至りとやらなのか、この頃から、不可解な衝動が目立ちだした。
日が暮れる時間が早まると、学童から家までの帰り道は真っ暗だった。
同じ方向の子がおらず、一人だったコイツは、
寂しさを紛らすため、恐怖心を取り払うため、鼻唄を歌うようになった。
しばらく続けているうち、そこにテキトーな歌詞が乗っかるようになり、
そうして誕生したのが、処女作『ファイト三人組』である。
青い空の下 白い雲の上
誰かが呼んでる みんなで歌おう
1、2、3、4、5、6、7、8、
8、7、6、5、4、3、2、1、
さすがの さすがの ファイト三人組
歌詞は全くもって意味不明だが、
母親にピアノで弾いて聴かせてみたところ、ものすごく驚かれた。
母親には、曲を作るという力はなく、何も教えようがなかった。
にも拘らず、コイツが作ったその曲には、とてもまとまりがあったのだ。
それからコイツは、同じようにして、ボンボン曲を生み出して行った。
それにしても、真っ暗な夜道を、一人きり、大声で歌いながら歩いて行く少女の姿は、
度々すれ違った下半身丸出しの変質者などの目に、どう映っていたんだか。
ちなみに、同じ頃に生まれた曲の中には、こんな歌詞がついていたものもあった。
暗い夜道を歩いてる 少女一人
空には 星が涙を流している
ひとりぼっちのメロディー 誰にでもあるメロディー?
心はいつも歌う ひとりぼっちのメロディー
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2002年10月16日
爆発型
♪だ〜れかさんと〜だ〜れかさんが〜ブッチュッチュ!
そんな唄を、とても憎たらしい笑顔で、とても憎たらしく口ずさむ一人の男の子。
コイツはその子の人差し指を掴み、曲がるはずのない方向へ曲げた。
それまで学校では、とりわけ男の子の前では、
比較的おとなしくしていたコイツだったのだが、
入学早々のスカートめくりの犯人であり、
毎日ちょっかいを出させっぱなしだったその子に対し、
とうとうブチ切れてしまった。
その子は号泣し、それを何年も周りに言いふらし続けた。
おかげでコイツには、
強い、恐い、といったレッテルを貼られることが多くなった。
鼻をかまな過ぎて蓄膿症とやらになったり、
入院するほどの便秘になったり……
なんだかコイツは、小出しにするという行為ができないタチだったように思う。
トイレに行くという行為を恥じたがために、
小を漏らすという恥をかいたことも、一度ではない。
コイツの過去は、そんな失態だらけだ。
でも、それと同じ数の幸運があったから、ここにいるのであろう。
かたじけない。
そんな唄を、とても憎たらしい笑顔で、とても憎たらしく口ずさむ一人の男の子。
コイツはその子の人差し指を掴み、曲がるはずのない方向へ曲げた。
それまで学校では、とりわけ男の子の前では、
比較的おとなしくしていたコイツだったのだが、
入学早々のスカートめくりの犯人であり、
毎日ちょっかいを出させっぱなしだったその子に対し、
とうとうブチ切れてしまった。
その子は号泣し、それを何年も周りに言いふらし続けた。
おかげでコイツには、
強い、恐い、といったレッテルを貼られることが多くなった。
鼻をかまな過ぎて蓄膿症とやらになったり、
入院するほどの便秘になったり……
なんだかコイツは、小出しにするという行為ができないタチだったように思う。
トイレに行くという行為を恥じたがために、
小を漏らすという恥をかいたことも、一度ではない。
コイツの過去は、そんな失態だらけだ。
でも、それと同じ数の幸運があったから、ここにいるのであろう。
かたじけない。
posted by コイツ at 00:00| U-13【回顧録】2002年10〜12月に連載。
2002年10月19日
小2の頃、
友達のお母さんが自殺した。
「ノイローゼ」という言葉を、初めて耳にした。
お風呂場で、頭から灯油をかぶり、体に火をつけたという事実が、
地区の新聞に載り、たちまちそんな噂が流れたのだ。
みんな、どこか面白がっているように見えた。やけに楽しそうだった。
わけがわからなかった。
その友達とコイツは、小1から同じクラスで、学童でも一緒で、
お互いの家を行き来するような仲だった。
赤ん坊の頃に舌をヤケドしたか何かで、その子は上手くしゃべることができず、
クラスでは、いわゆるイジメの標的だった。
休み時間に、よくコイツの机の傍で、助けを求めるように泣いていたりしたのに、
コイツは、守ってあげるどころか、
自分がその子の通訳係をさせられているような状況が不愉快で、
次第に、その子と距離を置くようになってしまった。
翌年、その子は転校した。引っ越し先は近くて、一度だけ遊びに行った。
コイツからというのはそれぐらいだった。にも拘らず、
その子はちょくちょく家に電話をかけてきて、自転車を立ち漕ぎし、
汗だくの顔で、「会いたかった」って、いきなり目の前に現れることもあった。
そして、コイツが上の空でいても、真剣に悩みを打ち明けてくれた。
中学に入学して、最初の夏休みまでは、ずっと。
また引っ越すという報告を最後に、その子からの連絡は途絶えた。
皮肉にも、あの夏休みが明けてから、コイツは、
その子が抱えていたであろう思いに近づくキッカケを、たくさん得ることになった。
コイツは今、あの子に会いたい。
「ごめんね」って言いたい。「ありがとう」って言いたい。
「ノイローゼ」という言葉を、初めて耳にした。
お風呂場で、頭から灯油をかぶり、体に火をつけたという事実が、
地区の新聞に載り、たちまちそんな噂が流れたのだ。
みんな、どこか面白がっているように見えた。やけに楽しそうだった。
わけがわからなかった。
その友達とコイツは、小1から同じクラスで、学童でも一緒で、
お互いの家を行き来するような仲だった。
赤ん坊の頃に舌をヤケドしたか何かで、その子は上手くしゃべることができず、
クラスでは、いわゆるイジメの標的だった。
休み時間に、よくコイツの机の傍で、助けを求めるように泣いていたりしたのに、
コイツは、守ってあげるどころか、
自分がその子の通訳係をさせられているような状況が不愉快で、
次第に、その子と距離を置くようになってしまった。
翌年、その子は転校した。引っ越し先は近くて、一度だけ遊びに行った。
コイツからというのはそれぐらいだった。にも拘らず、
その子はちょくちょく家に電話をかけてきて、自転車を立ち漕ぎし、
汗だくの顔で、「会いたかった」って、いきなり目の前に現れることもあった。
そして、コイツが上の空でいても、真剣に悩みを打ち明けてくれた。
中学に入学して、最初の夏休みまでは、ずっと。
また引っ越すという報告を最後に、その子からの連絡は途絶えた。
皮肉にも、あの夏休みが明けてから、コイツは、
その子が抱えていたであろう思いに近づくキッカケを、たくさん得ることになった。
コイツは今、あの子に会いたい。
「ごめんね」って言いたい。「ありがとう」って言いたい。
posted by コイツ at 00:00| U-13【回顧録】2002年10〜12月に連載。
2002年10月23日
両極端
「何でもできる子です。でも、だからこそ今のうちに、
挫折を知っておいた方がいいかもしれません」
小3の頃の担任は、個人面談の際、コイツの母親にそう告げた。
コイツは確かに、家や塾といった、
学校以外の場で勉強していない子供にしては、成績が良かった。
しかし、担任は遠回しに、コイツの性格に問題があることを示したのだ。
コイツには心当たりがあった。
ある日の掃除の時間、ポケットに両手を突っ込み、
足で雑巾を扱っていたコイツの姿を目にした担任から、お呼び出しがかかった。
「ごめんなさい、次からはちゃんとやります」などと、
すぐに謝れば良かったであろうに、
コイツはそこで、くだくだと言い訳を始めてしまい、
放課後、二人きりになった教室で、延々と叱られ続ける羽目になった。
コイツは涙を流しながらも、
〈この女、こんな子供相手に何ムキになってんの?〉くらいの気持ちでいたのだが、
きっと担任には、それも見抜かれていたのだろう。
小2の頃の担任には、
「一人だけ大人びていて、周りの子達から浮いてしまっている」
というようなことを言われた。
要するにコイツは、ものすごく生意気だったのだ。
近所に遊びに来た他校の男の子を自分の部屋にあげ、ママゴトの延長で、
古い言い方をすれば「B」まで済ませていたようなガキだった。
また、いわゆる仕切り屋で、グループを作った際には、
必ずリーダー的な位置に居座り、あれこれ企てるのが好きだった。
そういった多くは、実はコンプレックスの裏返しであったように思う。
そう、コイツは決して、何でもできる子なんかじゃなかった。
祖母の家へ行けば、祖母や親戚のオバサン達は、こぞって姉ばかりを可愛がった。
学校の成績が姉より上であろうと、
そこでのコイツは、まるで失敗作かのような扱いだった。
姉の顔を「ホントに美人ね〜」と褒めた直後に、
「あんたはホントに似てないね〜」と言われたり、
些細なことで怒鳴られたり、叩かれたり、無視されたり……
とにかく、そこでは何の主張もさせてもらえず、
どんどん控え目な子になって行った。
コイツの書く作品は、やたら強気なものと、
悲観に終始しているものとの差が、とても著しい。
別の人間が書いたかのように見える時もある。
だけどもコイツは、多重人格などではない。
『はだしのゲン』にも『ピーターパン』にも揺さぶられた、
一つの心の持ち主である。
こうして、幼い頃のことを鮮明に思い出せるのは、
当時から自意識が強かった証かもしれない。
小3の頃、自らの足を、懐中電灯で何度も殴りつけた。
レントゲンの結果、骨に異常はないと言われ、更に強く殴った。
僕以上に僕を傷つけられる者などいないと、信じたかった。
挫折を知っておいた方がいいかもしれません」
小3の頃の担任は、個人面談の際、コイツの母親にそう告げた。
コイツは確かに、家や塾といった、
学校以外の場で勉強していない子供にしては、成績が良かった。
しかし、担任は遠回しに、コイツの性格に問題があることを示したのだ。
コイツには心当たりがあった。
ある日の掃除の時間、ポケットに両手を突っ込み、
足で雑巾を扱っていたコイツの姿を目にした担任から、お呼び出しがかかった。
「ごめんなさい、次からはちゃんとやります」などと、
すぐに謝れば良かったであろうに、
コイツはそこで、くだくだと言い訳を始めてしまい、
放課後、二人きりになった教室で、延々と叱られ続ける羽目になった。
コイツは涙を流しながらも、
〈この女、こんな子供相手に何ムキになってんの?〉くらいの気持ちでいたのだが、
きっと担任には、それも見抜かれていたのだろう。
小2の頃の担任には、
「一人だけ大人びていて、周りの子達から浮いてしまっている」
というようなことを言われた。
要するにコイツは、ものすごく生意気だったのだ。
近所に遊びに来た他校の男の子を自分の部屋にあげ、ママゴトの延長で、
古い言い方をすれば「B」まで済ませていたようなガキだった。
また、いわゆる仕切り屋で、グループを作った際には、
必ずリーダー的な位置に居座り、あれこれ企てるのが好きだった。
そういった多くは、実はコンプレックスの裏返しであったように思う。
そう、コイツは決して、何でもできる子なんかじゃなかった。
祖母の家へ行けば、祖母や親戚のオバサン達は、こぞって姉ばかりを可愛がった。
学校の成績が姉より上であろうと、
そこでのコイツは、まるで失敗作かのような扱いだった。
姉の顔を「ホントに美人ね〜」と褒めた直後に、
「あんたはホントに似てないね〜」と言われたり、
些細なことで怒鳴られたり、叩かれたり、無視されたり……
とにかく、そこでは何の主張もさせてもらえず、
どんどん控え目な子になって行った。
コイツの書く作品は、やたら強気なものと、
悲観に終始しているものとの差が、とても著しい。
別の人間が書いたかのように見える時もある。
だけどもコイツは、多重人格などではない。
『はだしのゲン』にも『ピーターパン』にも揺さぶられた、
一つの心の持ち主である。
こうして、幼い頃のことを鮮明に思い出せるのは、
当時から自意識が強かった証かもしれない。
小3の頃、自らの足を、懐中電灯で何度も殴りつけた。
レントゲンの結果、骨に異常はないと言われ、更に強く殴った。
僕以上に僕を傷つけられる者などいないと、信じたかった。
posted by コイツ at 00:00| U-13【回顧録】2002年10〜12月に連載。
2002年10月26日
「人生10年目の出来事」
小4の頃につけていた日記のタイトルである。
今、たった10年そこいら生きただけの奴が、
人生なんて言葉をそんな風に使ってるのを見かけたら、
コイツは間違いなく、往復ビンタを食らわしてやりたくなるだろう。
しかしながらコイツは、9歳の時に、
『二十回目の誕生日』という名の曲も書いてのけた。
それは、自分がハタチになった日に死んでしまうという設定の歌詞だった。
大人になりたくなかったのだ。
そこが最も子供らしくない面だったのかもしれないが。
この年は、長崎の原爆資料館へ行ったこともあり、やたらと“死”について考えた。
どんなに幸福に生きようと、その先に必ず待ち受けているものについて。
そんなコイツが初めて買ったCDは、KANの『愛は勝つ』だった。
コイツはかなりのTV児で、
当時はランキング上位に入る曲=イイ曲なのだと思い込んでいた。
音楽が持つ力に魅せられ、洋楽などにも手を伸ばすようになったのは、
ずっとずっと後のことである。
当時は他に、中学生であった姉がハマっていたBOφWY、レピッシュ、
岡村靖幸、TM NETWORK、ユニコーン等といったアーティストの曲を、
半ば強引に聴かされていた程度で、コイツの創作意欲に直結したのは、
誰の作品でもなく、自分自身の中のモヤモヤとした感情だった。
学童は小4になると同時にやめ、放課後は毎日、
クラスの新聞係だった仲良し5人組で、日が暮れるまで遊んでいた。
皆、コイツが発案する突拍子もない遊びに、どこまでもついて来れちゃう子だった。
友達には、本当に恵まれた。
コイツはワガママで、短気で、トゲトゲしくて、嫌われることも多かった。
でも、こう振り返って行くと、常に親友と呼べる存在がいたことに気付く。
ちなみに、実際の二十回目の誕生日は、親友と海へ行って花火をして、車の中で寝た。
今日は、その親友の誕生日だったりする。
親愛なる友へ
この世に産まれてきやがってくれてアリガト。
22年間くたばらずにいやがってくれてアリガト。
コイツはアンタに出会えて良かった。
ここに断言したるさ。
今、たった10年そこいら生きただけの奴が、
人生なんて言葉をそんな風に使ってるのを見かけたら、
コイツは間違いなく、往復ビンタを食らわしてやりたくなるだろう。
しかしながらコイツは、9歳の時に、
『二十回目の誕生日』という名の曲も書いてのけた。
それは、自分がハタチになった日に死んでしまうという設定の歌詞だった。
大人になりたくなかったのだ。
そこが最も子供らしくない面だったのかもしれないが。
この年は、長崎の原爆資料館へ行ったこともあり、やたらと“死”について考えた。
どんなに幸福に生きようと、その先に必ず待ち受けているものについて。
そんなコイツが初めて買ったCDは、KANの『愛は勝つ』だった。
コイツはかなりのTV児で、
当時はランキング上位に入る曲=イイ曲なのだと思い込んでいた。
音楽が持つ力に魅せられ、洋楽などにも手を伸ばすようになったのは、
ずっとずっと後のことである。
当時は他に、中学生であった姉がハマっていたBOφWY、レピッシュ、
岡村靖幸、TM NETWORK、ユニコーン等といったアーティストの曲を、
半ば強引に聴かされていた程度で、コイツの創作意欲に直結したのは、
誰の作品でもなく、自分自身の中のモヤモヤとした感情だった。
学童は小4になると同時にやめ、放課後は毎日、
クラスの新聞係だった仲良し5人組で、日が暮れるまで遊んでいた。
皆、コイツが発案する突拍子もない遊びに、どこまでもついて来れちゃう子だった。
友達には、本当に恵まれた。
コイツはワガママで、短気で、トゲトゲしくて、嫌われることも多かった。
でも、こう振り返って行くと、常に親友と呼べる存在がいたことに気付く。
ちなみに、実際の二十回目の誕生日は、親友と海へ行って花火をして、車の中で寝た。
今日は、その親友の誕生日だったりする。
親愛なる友へ
この世に産まれてきやがってくれてアリガト。
22年間くたばらずにいやがってくれてアリガト。
コイツはアンタに出会えて良かった。
ここに断言したるさ。
posted by コイツ at 00:00| U-13【回顧録】2002年10〜12月に連載。
2002年11月01日
「僕」と言う女
初恋の相手は、トランクスだった。
トランクスとは、鳥山明さんの大ヒット漫画『DRAGON BALL』の登場人物である。
知らない人はいないと決めつけ、話を続けてしまおう。
コイツは、ベジータ戦あたりの頃から夢中になり、
フリーザ戦の頃には、週刊少年ジャンプを毎号買うほどになっていた。
逆に、いわゆる少女漫画の類には、ほとんど興味がなかった。
特に、ラブストーリーの類には。
『DRAGON BALL』の、敵対する者同志が、死闘の果てに、
かけがえのない仲間になって行く様は、憧れ以外の何物でもなかった。
おまけに、コイツはそれまで、絵を最も得意としていたわけだが、
鳥山さんの絵は、一生かけても越えられないと思った。
おそらく、最初に尊敬した大人は、鳥山さんと言っていいだろう。
アニメの録画はもちろん、劇場版も観に行ったし、
カードも集めたし、CDアルバムまで買った。
コイツの紡ぎ出すメロディーが、アクの強い歌詞に反するように、
単純で、掴みやすい物ばかりなのは、言わばスポンジである幼少期に、
そういった音楽を浴びまくったからであろう。
トランクスの話に戻ろう。彼は、宇宙最強と呼ばれ、
あの悟空でさえなかなか決着のつかなかった相手・フリーザ
(確か声が「おかあさんといっしょ」って番組の1コーナーに出てきた
軟弱キャラ・ポロリと同じだった)を、未来からタイムマシンでやって来て、
実にあっさりと殺しちまいやがったのだ! OH! ファンタスティック!
しかもベジータとブルマの子供!? ってことは、あの二人ヤッたの!?
(って思ったのはコイツだけ?)とにかくビックリした。そして惹かれた。
しかし、彼の登場以降、『DRAGON BALL』は見事に歪んでしまった気がする。
タイトルでありながら、価値が下がる一方のドラゴンボール。
主人公でありながら、存在感が薄れる一方の悟空。
そして、髪の毛が生えたクリリン……
コイツは、『DRAGON BALL』が幕を下ろす前に、自分の瞼を下ろした。
背後には、人気作ゆえの、様々な事情が見えていた。とても痛々しかった。
フェードアウトは嫌である。必然性を感じる場合は別として。
あの頃コイツは、「トランクス最高! 超カッケェ! マジ大好き!」などと、
よくわめいていた。まさか、男物の下着の名前だったとはね。
エレクトーンで遊びながら、自作の曲を音として形に残しだしたのも、
この頃(小5くらい)だった。宮崎駿作品の音楽=久石譲さんの楽曲も好きで、
耳コピして、自分なりにアレンジして弾いたりしていた。
絵を描くことより、文章を書くことの方が楽しくなって行ったのも、この頃だ。
現実から逃避するように、当時のコイツは、空想に耽っていた。
まだ、逃げられる程度の現実だった。
トランクスとは、鳥山明さんの大ヒット漫画『DRAGON BALL』の登場人物である。
知らない人はいないと決めつけ、話を続けてしまおう。
コイツは、ベジータ戦あたりの頃から夢中になり、
フリーザ戦の頃には、週刊少年ジャンプを毎号買うほどになっていた。
逆に、いわゆる少女漫画の類には、ほとんど興味がなかった。
特に、ラブストーリーの類には。
『DRAGON BALL』の、敵対する者同志が、死闘の果てに、
かけがえのない仲間になって行く様は、憧れ以外の何物でもなかった。
おまけに、コイツはそれまで、絵を最も得意としていたわけだが、
鳥山さんの絵は、一生かけても越えられないと思った。
おそらく、最初に尊敬した大人は、鳥山さんと言っていいだろう。
アニメの録画はもちろん、劇場版も観に行ったし、
カードも集めたし、CDアルバムまで買った。
コイツの紡ぎ出すメロディーが、アクの強い歌詞に反するように、
単純で、掴みやすい物ばかりなのは、言わばスポンジである幼少期に、
そういった音楽を浴びまくったからであろう。
トランクスの話に戻ろう。彼は、宇宙最強と呼ばれ、
あの悟空でさえなかなか決着のつかなかった相手・フリーザ
(確か声が「おかあさんといっしょ」って番組の1コーナーに出てきた
軟弱キャラ・ポロリと同じだった)を、未来からタイムマシンでやって来て、
実にあっさりと殺しちまいやがったのだ! OH! ファンタスティック!
しかもベジータとブルマの子供!? ってことは、あの二人ヤッたの!?
(って思ったのはコイツだけ?)とにかくビックリした。そして惹かれた。
しかし、彼の登場以降、『DRAGON BALL』は見事に歪んでしまった気がする。
タイトルでありながら、価値が下がる一方のドラゴンボール。
主人公でありながら、存在感が薄れる一方の悟空。
そして、髪の毛が生えたクリリン……
コイツは、『DRAGON BALL』が幕を下ろす前に、自分の瞼を下ろした。
背後には、人気作ゆえの、様々な事情が見えていた。とても痛々しかった。
フェードアウトは嫌である。必然性を感じる場合は別として。
あの頃コイツは、「トランクス最高! 超カッケェ! マジ大好き!」などと、
よくわめいていた。まさか、男物の下着の名前だったとはね。
エレクトーンで遊びながら、自作の曲を音として形に残しだしたのも、
この頃(小5くらい)だった。宮崎駿作品の音楽=久石譲さんの楽曲も好きで、
耳コピして、自分なりにアレンジして弾いたりしていた。
絵を描くことより、文章を書くことの方が楽しくなって行ったのも、この頃だ。
現実から逃避するように、当時のコイツは、空想に耽っていた。
まだ、逃げられる程度の現実だった。
posted by コイツ at 00:00| U-13【回顧録】2002年10〜12月に連載。
2002年11月06日
血筋
コイツの部屋は、とても他人を招けるような状態ではない。
タンスの引き出しは開けっぱなし、雨戸は閉めっぱなし、
ロフト型ベッドの上は物置きと化し、いつも書類やCDが散乱する床で寝ている。
この部屋を眺めると、自分は父親似であると、つくづく思う。
「オマエんちはイイよな。父ちゃんも母ちゃんも学校の先生だろ?
何でも教えてもらえんじゃん」
テストで高得点を取ったりすると、必ずそんな風に言ってくる奴がいた。
悔しかった。教えてもらうも何も、コイツの父親は、
コイツが救急車で病院に運ばれた時にさえ、行方不明だったような人だ。
ピリピリしまくりの母親と、そのとばっちりを食らう娘二人をほったらかして、
いったい毎晩、どこで何をしていたんだか。いまだに謎である。
家にいたらいたで、やたら不機嫌なことが多く、怒らせた日には、
片耳が聴こえないこともあり、普段から大きめな声が、まさに雷鳴のごとく轟いた。
茶碗を投げて割るのは構わない。女の子であろうと殴り飛ばすのも良しとしよう。
ただ、真冬の夜に外へほっぽり出すのは勘弁してほしかった。
もちろん、そんな思い出ばかりじゃない。
父親は、コイツには到底マネのできないことを、沢山やってのけた。
猫が苦手なくせに、捨て猫を見つけると拾ってきて飼いだしちゃったり、
道端でハトだとかの死骸を見つけると、
わざわざ持って帰ってきて庭に埋めてやったり、
粗大ゴミ置き場からガラクタにしか見えない物をジャンジャン拾ってきて、
何とか使おうとしてみたり、かと思いきや、
高価な電化製品を勝手に買ってきて、その後あんまり使わなかったり、
いきなり畳を引っぺがして、イロリなんぞを作っちゃったり、
勤務先の小学校まで、カヌー(川下り)で通ってみたり、
肥料になるからって、給食の残りを花壇に埋めたり、
何の予告もナシに、スキンヘッドにしてきちゃったり……
っていうか、一年中半袖だし、Tシャツの色、月曜は黄色、火曜は赤だとか、
ちゃんと決まってるし、それを30年近く続けてるし。
真夜中にデカいクモが現れて、外へ逃がしてもらった後、
叩き起こしたことを詫びた時には、
「謝るんならクモに謝れ!!」って絶叫されたからね。しかも、窓開けたまんまで。
何を思ったか、先っぽにカモの模型がくっついた帽子とポンチョってやつ身に付けて、
家中ドタドタ駆け回ってた日もあった。そらもう満面の笑みで。
コイツが勉強せずにいたり学校サボったりしたことに関しては、
一度も叱られた覚えがない。
機嫌のいい日はよく、キャンプや釣り堀へ連れて行ってくれたし、
夏はベランダでバーベキュー、冬はグラウンドで星の観察ってな具合に、
そんな物よりワクワクできる物を、たっぷりと見せつけてもらった気がする。
この部屋を眺めると、つくづく思う。自分が父親と似てるのは、
こんな風に、だらしない面だけであってほしくないと。
タンスの引き出しは開けっぱなし、雨戸は閉めっぱなし、
ロフト型ベッドの上は物置きと化し、いつも書類やCDが散乱する床で寝ている。
この部屋を眺めると、自分は父親似であると、つくづく思う。
「オマエんちはイイよな。父ちゃんも母ちゃんも学校の先生だろ?
何でも教えてもらえんじゃん」
テストで高得点を取ったりすると、必ずそんな風に言ってくる奴がいた。
悔しかった。教えてもらうも何も、コイツの父親は、
コイツが救急車で病院に運ばれた時にさえ、行方不明だったような人だ。
ピリピリしまくりの母親と、そのとばっちりを食らう娘二人をほったらかして、
いったい毎晩、どこで何をしていたんだか。いまだに謎である。
家にいたらいたで、やたら不機嫌なことが多く、怒らせた日には、
片耳が聴こえないこともあり、普段から大きめな声が、まさに雷鳴のごとく轟いた。
茶碗を投げて割るのは構わない。女の子であろうと殴り飛ばすのも良しとしよう。
ただ、真冬の夜に外へほっぽり出すのは勘弁してほしかった。
もちろん、そんな思い出ばかりじゃない。
父親は、コイツには到底マネのできないことを、沢山やってのけた。
猫が苦手なくせに、捨て猫を見つけると拾ってきて飼いだしちゃったり、
道端でハトだとかの死骸を見つけると、
わざわざ持って帰ってきて庭に埋めてやったり、
粗大ゴミ置き場からガラクタにしか見えない物をジャンジャン拾ってきて、
何とか使おうとしてみたり、かと思いきや、
高価な電化製品を勝手に買ってきて、その後あんまり使わなかったり、
いきなり畳を引っぺがして、イロリなんぞを作っちゃったり、
勤務先の小学校まで、カヌー(川下り)で通ってみたり、
肥料になるからって、給食の残りを花壇に埋めたり、
何の予告もナシに、スキンヘッドにしてきちゃったり……
っていうか、一年中半袖だし、Tシャツの色、月曜は黄色、火曜は赤だとか、
ちゃんと決まってるし、それを30年近く続けてるし。
真夜中にデカいクモが現れて、外へ逃がしてもらった後、
叩き起こしたことを詫びた時には、
「謝るんならクモに謝れ!!」って絶叫されたからね。しかも、窓開けたまんまで。
何を思ったか、先っぽにカモの模型がくっついた帽子とポンチョってやつ身に付けて、
家中ドタドタ駆け回ってた日もあった。そらもう満面の笑みで。
コイツが勉強せずにいたり学校サボったりしたことに関しては、
一度も叱られた覚えがない。
機嫌のいい日はよく、キャンプや釣り堀へ連れて行ってくれたし、
夏はベランダでバーベキュー、冬はグラウンドで星の観察ってな具合に、
そんな物よりワクワクできる物を、たっぷりと見せつけてもらった気がする。
この部屋を眺めると、つくづく思う。自分が父親と似てるのは、
こんな風に、だらしない面だけであってほしくないと。
posted by コイツ at 00:00| U-13【回顧録】2002年10〜12月に連載。
2002年11月16日
班長
今朝、飼ってた猫が、預けていた病院で、息を引き取った。
「班長」が我が家にやって来たのは、コイツが小4の頃だった。
当時はまだ、手のひらに乗っかるくらい小さくて、毎日一緒に寝てた。
でも、ある時から急激にノミが増えて、コイツの足がボロボロになって、
あまり可愛がってやれなくなってしまった。
ノミがいなくなったと思ったら、今度は猫エイズとやらにかかり、
その上に慢性の鼻炎になって、その鼻水がものすごく臭くって、
ますます可愛がりにくくなってしまった。
そう長くは生きられないと覚悟してから、何年も経っていた。
コイツが蕁麻疹に苦しみだした頃から、班長の様子もおかしくなった。
まるきり外へ出なくなり、どんどん痩せて行き、
毛づくろいすらできないほどに弱っていた。
今週の水曜に、病院へ連れて行った。
いつもなら無理やり押し込まれるケージに、
今回はなぜか、自分から入って行った。
そして今日は、退院できるはずの日だった。
抱っこしたら、まだ柔らかかった。でもグッタリしてて、
頭を撫でても、名前を呼んでも、何の反応も示してくれない。
最期を看取ってあげられなかったことが、とても悔しい。
どんな思いで死んで行ったんだろう。
みんなに捨てられたと思ったんじゃないか。
なんでもっと優しくしてやれなかったんだろう。
治らないとは判ってたけど、最期は傍にいたかった。
もう泣き疲れたよ、班長。
いつもコイツがこんな風に泣いてたりしたら、必ず傍に来てくれたじゃんか。
「あっち行ってて」って言っても、ずっと傍にいてくれたじゃんか。
アホみたいな顔で、コイツの顔のぞき込んでたじゃんか。
なんで息してないの? 自分で立ち上がれるでしょ? 冗談キツイってマジで。
ホント? ホントなの? 受け入れなくちゃダメ?
じゃぁさ、言わせてよ。この世に生まれて来てくれてありがとう。
12年間、くたばらずにいてくれてありがとう。
忘れないよ、絶対。忘れてたまるかっての。だけどサヨナラ、班長。
コイツは死んでも、オマエの行った天国へは、行けそうにない。
だからきっと、もう二度と会えない。さようなら、班長。
「班長」が我が家にやって来たのは、コイツが小4の頃だった。
当時はまだ、手のひらに乗っかるくらい小さくて、毎日一緒に寝てた。
でも、ある時から急激にノミが増えて、コイツの足がボロボロになって、
あまり可愛がってやれなくなってしまった。
ノミがいなくなったと思ったら、今度は猫エイズとやらにかかり、
その上に慢性の鼻炎になって、その鼻水がものすごく臭くって、
ますます可愛がりにくくなってしまった。
そう長くは生きられないと覚悟してから、何年も経っていた。
コイツが蕁麻疹に苦しみだした頃から、班長の様子もおかしくなった。
まるきり外へ出なくなり、どんどん痩せて行き、
毛づくろいすらできないほどに弱っていた。
今週の水曜に、病院へ連れて行った。
いつもなら無理やり押し込まれるケージに、
今回はなぜか、自分から入って行った。
そして今日は、退院できるはずの日だった。
抱っこしたら、まだ柔らかかった。でもグッタリしてて、
頭を撫でても、名前を呼んでも、何の反応も示してくれない。
最期を看取ってあげられなかったことが、とても悔しい。
どんな思いで死んで行ったんだろう。
みんなに捨てられたと思ったんじゃないか。
なんでもっと優しくしてやれなかったんだろう。
治らないとは判ってたけど、最期は傍にいたかった。
もう泣き疲れたよ、班長。
いつもコイツがこんな風に泣いてたりしたら、必ず傍に来てくれたじゃんか。
「あっち行ってて」って言っても、ずっと傍にいてくれたじゃんか。
アホみたいな顔で、コイツの顔のぞき込んでたじゃんか。
なんで息してないの? 自分で立ち上がれるでしょ? 冗談キツイってマジで。
ホント? ホントなの? 受け入れなくちゃダメ?
じゃぁさ、言わせてよ。この世に生まれて来てくれてありがとう。
12年間、くたばらずにいてくれてありがとう。
忘れないよ、絶対。忘れてたまるかっての。だけどサヨナラ、班長。
コイツは死んでも、オマエの行った天国へは、行けそうにない。
だからきっと、もう二度と会えない。さようなら、班長。
posted by コイツ at 00:00| U-13【回顧録】2002年10〜12月に連載。
2002年12月11日
懺悔
コイツの人生には汚点などない。
なぜなら、何か一つの出来事を挙げ、それを汚点と呼べるほど、
輝かしい日々ばかりを送ってきたわけではないからである。
小学校高学年になると、嫌いな子が急激に増えた。
仲が良かったのは、流行りの音楽(当時は主にドラマの主題歌)などに興味があり、
すでに初潮を迎えていたような子達のみ。
同じ子を嫌うことこそが、その子達との仲間意識を高められることかのようだった。
気に食わない子に対するコイツの態度は、イジメ以外の何でもなかった。
シカトはもちろん、変なアダ名を付けて呼んだり、
肩が触れただけで不快を示したり……
そんなコイツに嫌われぬよう、あからさまに媚びてくる子も現れ、
自分は強いのだと、錯覚した。
コイツは当時、ニキビに悩んでいたし、メガネもかけてたし、
容姿を褒めてくれる人なんて、ほとんどいなかった。
相変わらず成績は良く、絵はどこかへ出品され、
体育大会のリレーでは、棚ぼた的ながらアンカーを務めた。
努力というものを知らず、他人を見下すことのみで、
自信を得ようとするような奴だった。
自分より劣ってそうな者を探すこと、それのみで。
いじめていたうちの一人は、
コイツに恋愛感情があると打ち明けてきた女の子だった。
性的欲求まで告白され、気まずくて、どう接したらいいのか分からなかった。
その子にとっては、ものすごく勇気の要ることだったかもしれない。
だけどコイツには、受け入れることができなかった。
イジメに関わった全員が、担任から厳重注意を受けた日、コイツは学校をサボった。
コイツがそうすれば、皆、コイツだけに責任を擦り付け、片が付くはずだと思った。
それはその通りになり、後日、担任には、
入学する中学に、問題児として名前を報告するなどと脅された。
が、そんなに悪いことをしたという自覚は、これっぽっちも持てなかった。
自分が正しいと、思い込んでいたのだ。
卒業する頃には、口には出さなかったものの、とても複雑な心境になっていた。
冷静に振り返れば、からかわれても当然のことをしていたのは、
見放されてもおかしくないことをしていたのは、いつだってコイツだった。
なのに、いじめた子にしろ、担任にしろ、
コイツが困った時には、当たり前のように力を貸してくれた。
ありがたいというより、なんで?という気持ちでいっぱいだった。
人の醜さばかりに敏感だったコイツは、いつしか、
人の優しさを信じることができなくなっていた。
徒競走ん時だったっけな。
ケガしてた俺と、一緒に走ってくれるって奴がいてさ。
ずっとペース合わせて走ってもらってたんだけど、
最後の最後で俺、よろけた振りして、
そいつより先にゴールしたんだ。
ビリだけはごめんだって、衝動的に…
イヤな奴だろ?
そいつも呆れてたよ。
俺、思い出しゃ、そんなんばっかだぜ。
ホントは自信ねぇんだけど、
それを持ちてぇ気持ちはハンパじゃなくて、
空回りして、誰かに不快感を与える結果にしかならねぇんだ。
なぜなら、何か一つの出来事を挙げ、それを汚点と呼べるほど、
輝かしい日々ばかりを送ってきたわけではないからである。
小学校高学年になると、嫌いな子が急激に増えた。
仲が良かったのは、流行りの音楽(当時は主にドラマの主題歌)などに興味があり、
すでに初潮を迎えていたような子達のみ。
同じ子を嫌うことこそが、その子達との仲間意識を高められることかのようだった。
気に食わない子に対するコイツの態度は、イジメ以外の何でもなかった。
シカトはもちろん、変なアダ名を付けて呼んだり、
肩が触れただけで不快を示したり……
そんなコイツに嫌われぬよう、あからさまに媚びてくる子も現れ、
自分は強いのだと、錯覚した。
コイツは当時、ニキビに悩んでいたし、メガネもかけてたし、
容姿を褒めてくれる人なんて、ほとんどいなかった。
相変わらず成績は良く、絵はどこかへ出品され、
体育大会のリレーでは、棚ぼた的ながらアンカーを務めた。
努力というものを知らず、他人を見下すことのみで、
自信を得ようとするような奴だった。
自分より劣ってそうな者を探すこと、それのみで。
いじめていたうちの一人は、
コイツに恋愛感情があると打ち明けてきた女の子だった。
性的欲求まで告白され、気まずくて、どう接したらいいのか分からなかった。
その子にとっては、ものすごく勇気の要ることだったかもしれない。
だけどコイツには、受け入れることができなかった。
イジメに関わった全員が、担任から厳重注意を受けた日、コイツは学校をサボった。
コイツがそうすれば、皆、コイツだけに責任を擦り付け、片が付くはずだと思った。
それはその通りになり、後日、担任には、
入学する中学に、問題児として名前を報告するなどと脅された。
が、そんなに悪いことをしたという自覚は、これっぽっちも持てなかった。
自分が正しいと、思い込んでいたのだ。
卒業する頃には、口には出さなかったものの、とても複雑な心境になっていた。
冷静に振り返れば、からかわれても当然のことをしていたのは、
見放されてもおかしくないことをしていたのは、いつだってコイツだった。
なのに、いじめた子にしろ、担任にしろ、
コイツが困った時には、当たり前のように力を貸してくれた。
ありがたいというより、なんで?という気持ちでいっぱいだった。
人の醜さばかりに敏感だったコイツは、いつしか、
人の優しさを信じることができなくなっていた。
徒競走ん時だったっけな。
ケガしてた俺と、一緒に走ってくれるって奴がいてさ。
ずっとペース合わせて走ってもらってたんだけど、
最後の最後で俺、よろけた振りして、
そいつより先にゴールしたんだ。
ビリだけはごめんだって、衝動的に…
イヤな奴だろ?
そいつも呆れてたよ。
俺、思い出しゃ、そんなんばっかだぜ。
ホントは自信ねぇんだけど、
それを持ちてぇ気持ちはハンパじゃなくて、
空回りして、誰かに不快感を与える結果にしかならねぇんだ。
posted by コイツ at 00:00| U-13【回顧録】2002年10〜12月に連載。
